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部屋とYシャツとわらG

部屋とYシャツとわらG

私が出会った生徒達

 フリーページに、自分が忘れないように作った「自閉症関連で読んだ本」のメモをアップしました。全然責任持てませんが、よかったら見てご参考にしてください。一時期、いっぱい読んだというか、必死だったけど、結局は「目の前の自分の子をそのまま見つめて支援していこう!」と知識はここまでで充分という気になりました。

 私をそんな気持ち(境地?)にしてくれたのは、まぎれもなく、養護学校で出会った生徒達や保護者のおかげです。(前置き終わり)

 さていよいよ入学式。やっと中学部の1年生と会えた。我がクラスは担任2名の生徒5名。控え室であいさつをしたりゆったりと式の始まりを待っていた。内部からの子が(校内の小学部より上がってきた子)が3名いたし、「落ち着いたもんだな…それに保護者もついているし…」と思っていた所で、保護者は先に体育館へ。残った生徒達を並ばせて入場となった。

 まずこの段取りも聞いていなかった(それまでの会議でなぜやらない?)が、それ以上に驚いたのは、内部から入学の子で「式が苦手で、脱走する生徒」がいたのだった!
 
 もう一人の担任は小学部から聞いていたのか、「あっ、その子、逃げるから気をつけて!」と言われた時に、すでに時は遅し。脱兎のごとく駆けだしていった。後を追っていくと、ちょうど会場から一番遠い教室(2階角を曲がった100m以上離れた所)に逃げ込んでいって、いろいろと教室のものをさわり始めた。「なんか怒ってる…怒りたいのはこっちなのに…。」

 式が始まるのでこっちは必死である。多分そのうち誰か助けが来るだろうと思いながらも、「焦る…。このことで式が始まらないのでは…。」

 心配無用だった。二人を置いて、式は始まる、助けは来ない(怒)。20分くらいして一通り部屋のものをいじると落ち着いたので一緒に会場に行った。あとでわかったのだが、この部屋は去年の(小6の時の)彼の教室だったのだ。多分彼なりの方法で「もう小学生ではなくなった」事に納得したのではないだろうか。(始まる前にやっといてよ)

 そして式に出て、新入生紹介や担任紹介にちょうど間に合った後、10分くらいして今度は会場から脱出! 誰も入り口で止められず(かれはでかいのだ)、しかたなしにまた私がついていった。

 今度はなぜか階段を上がって屋上の方へ。屋上への出口に追いつめた所で、説得開始。交渉決裂?した頃、彼が屋上への扉をガチャガチャといじり始めた。「(安全対策のため)開いているわけないだろう」と言った瞬間、なんと、開いていたのだ…。初めて出る屋上、私は形状も知らないので必死でタックルして止めて、超怒りモードに入った! 切れて怒る私ははっきり言って怖い!今までどんなヤンキーも最後はびびってくれていた。ところが、彼はどんなに脅されようがまた外へ行こうとする…戦いは10分近く続いた…。

 ところが式が終わって人が出てき始めると、何事もなかったように体育館前の列にもどっていった。ようは式に出たくなかったようだ…。

 そんなお互いの力(腕力)を出し切って初日の攻防は私の背広をよれよれにして終わった…(他の記憶なし)。

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 やっぱり生徒が来ると、何かと楽しくなるし、何かと大変になる(笑)。我がクラス(中学部の1年)は自閉症の子が多いので、部屋をなるべく構造化したり、それぞれの目印の色を決めて、その色のテープでいろいろな物をマーキングしたりと前もって準備しておいた。

 一度色を言われると他のことに応用できた子もいれば、時間をかけてゆっくりと覚えていく子もいた。たとえばロッカーとかイスとかにもテープ(ビニールテープ)を貼ったりしていたので、慣れてくるとイスを移動した時もすぐに見つけられるし、個別学習の教材のコーナーとかいろいろな区別にも使えたり、「なるほどー」ともう一人の担任(主任)の取り組みに感心したものだった。

 しかし、そう簡単にはいかせてくれないから生徒もさすがである。I君は水遊び・水いたずらが大好き。家でも午後は1時間以上水遊びをするこだわりよう。(でも母はさすが、キャベツとか野菜を与えて洗わせているらしい)学校には日頃は洗うものがないので、「自分のビニールテープをはがしては洗う」という行動に出たのである。はがすだけならまだしも、家のキャベツの時の癖なのかすぐに口に入れてしまうので「一部は食べてしまっているのでは…」と不安になって何とかやめさせたいと思っていた。

 彼は「自分の物」はいいけど「他の子の物」に手を出してはいけないことがよくわかっていたので、「はがしてはまた新しいのを貼られる」時期を過ぎてからは、彼の物だけは「無印」ということになり、事なきを得ていた。でも2学期になってから急に他の子のテープまではがしては洗うことが増えた。毎日というわけではないのだが、結構やるようになり、特にロッカーのそれにこだわるので、場所が覚えられない子のためにも何とかしなければいけなかった。

 前々からやろうと思っていたけど、そこまで手の回らなかった私は、その日の放課後、ニヤニヤしながら絵筆を握っていた。そう、ロッカー、机、イス…ビニールテープで貼っていた所を全部ポスターカラーで塗り直したのだ! 毎日毎日このことでもめていたあの戦いが終わる…鼻歌交じりでがんばった。

 そして翌朝、「うー」とかうなりながら悔しそうにしているI君。私は「してやったり」でとてもいじわるな笑みをたたえていた。必死でこすったりするのを見ながら「フフ、悪あがきはやめな」などと余裕。

 しかし! 「塵も積もれば山となる」のだ。彼は「洗う」事とは関係ないのに「色を取る」ことにがんばりを見せて、休み時間とかことあるごとにカリカリカリカリ…3日のうちに彼の机は無印になり、その後も少しずつやってはクラスメイトの机・イスも色がなくなっていき、1ヶ月後にはまた「貼り時々はがされ」の日々に戻されるのであった…。

 幸い古い木製で、色が奥までしみこんでいたロッカーだけは貼る必要がなくなったのでそう困ることはなかったのだが、私の中では「まぎれもない1敗」であった。やはり「強い思いは岩をも砕く?」(なんか違うな)のである。

 ついでながらその2年後、特学の小学校1年生になった我が子Sも、入学から1週間、毎日少しずつビニルテープをはがしてはカミカミしていたようである。

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 M君は自閉症で、とても人なつっこくて、発語はないが何かを伝えるのが上手な子だった。やわらかほっぺを他のクラスの先生や生徒がさわりに来て、一緒にニコニコしている。ただし、いつもと違う何かが起こるとかなり不機嫌になるタイプなので、毎朝自習しているプリントが一枚足りなかったりすると、顔を真っ赤にして「みゅいみゅい」文句を言ってくる(でもそれがまたかわいい)。

 ある日の美術の時間、新入生のはさみの使い方を見てみようということで、「色画用紙に油性ペンで、たて横4本くらいのの黒い線を引いた紙」を渡した。私は補助の必要な子に付いて、マジックの線の上をなんとか切れるように手を添えていた。できると聞いていたM君には指示だけ出して一人でやらせていた。

 すると後ろから、M君が「みゅいみゅい」と怒って呼んでいるのでふりかえった。すでに切ってある物を見せられて仰天! 油性ペンの黒い線の上を切ったのではなく、その線がくりぬかれているのである! わかりにくいかもしれないが、普通なら縦に4つくらいに切られた物が、それぞれまた小さく切られて正方形になるはずなのだが、彼のは、太さ3ミリくらいの黒いはしごのようなものができているのだ。黒い線を切ったのではなく、黒い線を切り抜く技術だったのだ。

 そして「四角の中はどう切るんだ!」という感じで怒っていたのだ。穴を開けたり、折り曲げるやり方を教えると、うれしそうに残りの四角をくりぬき、なぞのはしごがいくつも完成した。鼻歌交じりではさみを滑らすその様子は、まさに「切り絵」職人だった。

 さらに後日の帰りのこと。着替えが早いはずの彼がなかなか更衣室から出てこない。のぞいてみるとなぜかYシャツの第1ボタンに苦労しているのだ。ちなみに彼はいつも第1ボタンまでしめるのが好きだ。「ワイルドに行こう」とか言われ、担任が1つはずしても、いつのまにかササっときっちりしめている。

 ところがその日はうまくいかなくて怒っているので、手伝おうとして、私はビックリ仰天! なんとYシャツが裏返しのままなのだ! こんなのボタンが閉まるわけない! でもなんと後1つ…という所まで来ているのだ。そでのボタンまで閉まっているがいったいどうやったのだろう???

 裏返しとの指摘に気づいた本人も、納得して着替えていたが、あまりの衝撃に担任陣が騒ぎすぎ、彼はちょっと泣いてしまった。(失敗したと思ってプライドが傷ついたようだ。悪いことをした。) その後も「すごいすごい」と褒めちぎったのだがそのままブルーな気分で下校させてしまった(反省)。

 M君、その器用さは「いばっていい」んだよ。

 その日の帰りの職員更衣室で、私もYシャツを裏返しに着ようとしたがまったくできなかった…。ぜひお試しを。

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 Y君はダウン症で、ことばの少ない我がクラスにおいては、音声部門で非常に重要な男であった。(というか音声によってやりとりできるのは彼だけである)

 あまりにも他の子がしゃべらない(うなったり、ほえたりはするがY君に話しかけてはこない)ので、最初は「しゃべると怒られる」と思っていたようだが、だんだんと慣れてきていろいろとしゃべるようになった。

 模倣がうまく、担任がねそべるI君に「起きろよ」といつも言っていると、そのうち担任より先に「起きろよ」と言うようになったり、手を引っぱって起こそうとしたり、世話を焼いてくれる。彼が言うと、ほんわかムードで少し空気が和むのである。

 ただしいつもすてきな会話ではない。マイブームがあるようで、授業中などにやたらと同じことばを場面に関係なく叫んだりする。やはり、おうちでも怒られるような汚いことばほど言いたいのか、ブームが長かったのは「うんこ」の連発。(したいわけではない)
「ハイ、これで終わり」「うんこー」
「マラソンに行きます」「うんこー」 
「このあと調理室でカレーを作ります」「うんこー」(これはある意味あってる?)
こんな調子だった。

 どうも、まわりが笑ったり、困った顔をしたり、注意したりという「注目」をあびるための「魔法のことば」(笑)にしているようなので、ある日徹底的に普通に流してみた。
「先生、うんこだね」「そうだね、うんこだね」 
「マラソンに行きます」「うんこー」「はい、うんこでも行きます」 
給食中に「これうんこ?」「うんこではありません」 

 あまりにも「ただのことば」になったその日、だんだん「うんこ」は言わなくなった。
(でも「しっこ」とか「ばかー」とか「おけつ」とかその後も週替わりメニューであったが)

 あと、彼は着替えでも移動でも一人でできるのだが、とにかくゆっくりであった。いつも更衣室からなかなかもどらず、急がせないとなかなか先に進まない。

 ある日の帰りの着替え、最後の一人になってもなかなか進まない。のぞくたびに声をかけては一枚ずつ脱ぎ進むという感じだった。しばらく他の子のことでバタバタした後、10分以上たってから「もう終わっているだろう」とのぞくと、
「テーブルの上にのって、四つんばいで恍惚の表情を浮かべている、白ブリーフ1丁のY君」がいた…。

 声をかけると急に我に返って服を着て着替え終わったが、「一人の更衣室を楽しむ」どんなことがあったのだろう???

 彼はその後まもなく、家庭の事情で短期の在籍で転校した。最初からそのことはわかっていたのだが、すっかり仲良くなった後だけに、彼がいなくなっての静かな(落ち着いてという意味ではない)クラスはしばらくさびしくてしょうがなかった。

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 教員2名で生徒5名(途中から4名)を担任していたのだが、T君は、急に脱走してしまうことがあったり(しかもどこに行くか毎回違うのですぐに追いかけないといけない)、足もかなり速いし、靴や靴下を急に脱いでしまうし(しかも道ばた脱ぎ捨て)、着替えの補助が必要だったり、急にパニックから自傷することがあったり…と、かなりマンツーマンディフェンス?の必要があったので、私は一日のうち、彼と過ごす時間が一番多かった。

 スクールバスへのお迎えから一日がスタート。バスに入り、放心状態になっているT君に、靴下・靴をはくように指示して…という所で10分くらい…大体最後に降りることが多かった。最初の頃は降りたがらずに(学校いやだったのだろうなあ)泣いているのを落ち着かせる所からスタートだった。「今日も勉強だぁ、楽しいぞー」と言いながらも、もう一人の自分が「いや、そんなに楽しくもないと思うよ」とツッコミを入れてしまうので、負けずにテンションをあげたり、そっとしていたり…と日によっていろいろ演じて大変だった。

 行きたくない気持ちもあってか、バスに乗っている間にのどに手を入れて吐いてしまう…というようなこともあり、そういう時に限って、甘えて抱きついてくれたりするので(笑)、朝からゲロ臭いただならぬ関係になったりしていた。

 教室で荷物を置いたり着替えたりした後、いつもの係仕事のスタートだ。保健カードを届けたり、ゴミ箱を持って遠くまで捨てにいったり。これが果てしない道のりの時もある。でも慣れていくうちに、「自分の仕事だ」「終わればほめられる」という責任感が出てきて、バスで調子が悪くてもがんばれる日が出てきた。

 いっぱいいっぱいの時は、「お仕事終わり」となると教室で跳びはねたりゴロゴロしたりの自由時間にするのだが、本人の調子がよくて、時間があって、天気もいい時は、屋上に行って走ったり歩いたりするようになった。彼は、朝のうちに体を動かして発散しておくと、一日「持つ」ことがわかってきたのだ。

 行き始めの頃は、彼は屋上(ロの字形)をグルグル走り、私はそれを自転車(小学生用)で先導したり追いかけたりだけだった。何回目かのある日、彼は私の自転車を引っぱり、なんとなく「乗りたい」という意志を伝えてくれたのでそれからは「自転車に乗る」時間となった。とはいえ本人は乗りこなせたことはなかったようなので、補助が大変だ。横から片手でハンドルを支え、もう一方は腰を支えて、まずは「乗っている気持ちよさ」を味わってもらった。初めての時の彼の笑顔は忘れられないくらいにいい顔をしていた…と思う。

 そのうち、「こがないと進まないよう」にして、「ハンドル操作をまかせて」とやっていった。ちょっと体育会系が入ってくると乗るのを嫌がることもあり、そんな時は私が自慢げに乗りまわった(おいおい)。1年間で、一人で乗れる…という所までは残念ながらいかなかったのだが、朝の日差しの中、西に山々、東に街なみ(本当は西も東ももっと雄大なものなのだが場所を特定してもらっては困るのでこんな表現)を見ながら、彼と一緒にゆっくり成長した時間は、私にとってもすてきな思い出になったのである。

 ついでながら、彼は偏食が多く、すきあらば手づかみで食べてしまうのがうちの子にそっくりなのである。ただ、お盆の上に落ちると嫌いな物でもとっさに食べてしまう…という習性があったので、偏食指導の際にその手を使うこともあった…。やっぱりいけないかなあ…と思いつつもつい。でもお盆はきれいなお盆の上であって、彼が机に落としたりしたものはこっちは止めていた(彼は食べるとアピールして怒るが)。ちなみにそんな所も我が子はそっくり…好きな物限定とはいえ、なぜか落ちたものから先に食べる。誰もとらねえよ!

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 Sさんは、クラス1の美人である。というかクラスの女子は1名であるが…。でも母も美人である。さらになかなかおしゃれな格好をいつもしているので、跳びはねて指を鳴らしている彼女は、一種、天使のような趣きである。でも指鳴らしのその指を人の背中に当ててくる(何というかデコピンされてるようなチョップされているような感覚)ので、天使といえども、現実はなかなか「痛い」のである。

 彼女も自閉症なのだが、初めて教室に来た人にはなかなかなじめず、泣いてしまったり、おそれて自分が教室から出ていったりが最初は多かった。でも、何かと人の出入りが多いクラスだったため、だんだんと慣れてきた。彼女がチョップの洗礼をあびせるとそれはその人の存在を「認めたあかし」となり、その日、一日中仲良しになれるのだ。

 介護体験の大学生がよくこの洗礼を受けたが、特に「背中ががっしり」「半袖シャツの太い腕」「イケメン」の三拍子がそろうとまちがいなく、すぐに認めてもらっていたようだった。

 そういえば一度、こんなことがあった。学生さんは特に自閉症のことを学んでくるわけではないので、朝、最初に「このクラスは自閉症の子が多いので簡単に…」と毎回私が1分間くらいで特性と配慮と今日やって欲しい仕事を説明していた。関わるのが難しいけど、無理強いさえしなければいいから「とにかく体当たりで接してみて!」ということになるので、大体はうまくいって仲良しになる。

 でもある時の男子学生はびびってしまったのか、子どもたちに近寄らず、教室の隅でなぜかメモだけ取っているのである。「なんだそりゃ」と私があきれて呼ぼうと思ったら、Sさんが近寄って「びしっ」と攻撃開始!角にいて逃げられず、コーナーに追いつめられたままの彼の驚いた顔(まあ人生の中でそうそう美人に理由もなくたたかれることもないだろう)はなかなかのもの…少し緊張もほぐれたようだった。

 そんな彼女は、日頃、教室内を跳びはねながら、最も高い打点で、仕切り用に金属で吊ってあるカーテンレールにいつも「ビシッ」とやっていたのだが、3月くらいになって私はあることに気が付いた。カーテンレールが大きく湾曲しているのである。その年はカーテンを使わなかったのでそれまで気づかなかったのであるが、多分カーテンがひっかかって動かないくらいの極端な曲がり方。これはもう「ボブサップの仕業」というくらいの破壊力の仕事を一年かけて毎日コツコツやっていたのである。
やはり、美人は怖い…のであった。








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